筆者は英語学習において機械的暗記と語呂合わせは非常に効率が悪く効果的でないと考えます。
特に語呂合わせでは二重、三重に文章や語彙を覚えなければいけないため非常に効率が悪いと考えます。もちろん例外もありますが、よく書店などで見かけられる語呂合わせ専門の本は強引に語呂合わせ用の文章が作られ、その文章に音をあわせするというものです。ひどい場合は初めの文節と次に出てくる文節の関連性が全くなく、その文章を暗記した上で音を当てはめていくというものもあります。
まず最初に筆者が指摘する問題は次のように語呂合わせ上ではステップが非常に長いということです。
英単語→英単語の意味の暗記→語呂合わせ文の暗記→語呂合わせ文と英単語の音との一致→語呂合わせ文と単語の読解→目的の英単語の意味
語呂あわせでは上記の四つのステップを通らない限り目的の意味にはたどり着くことができません。
ところがどうでしょう、もし辞書に書いてあることを暗記したら
英単語→目的の英単語意味
なんとワンステップでたどり着くことができます。
さらに二つ目の問題点として、語呂合わせは全く応用が利かないということです。
例えば長文を読解するような状況におかれたとき、いちいち上記のようなステップを通って語呂合わせをしながら一つ一つの意味を思い出しながら文を読むでしょうか?
筆者はそのような読解方法は時間がかかるだけでなく疲れるので絶対にしません。ましてや語呂合わせをした場合、単一の意味しか見出せないのでその単語のニュアンスが全くつかめなくデッドエンドとなるのが普通でしょう。
よく辞書で引く場合その単語の意味が覚えられないので語呂合わせをすると反論される方がいます。
この矛盾を是正するために筆者は次のような提案をします。
文章中に出てきたわからない単語を辞書で引きその文章の題名や前後の文章から判断してその単語の意味合い、ニュアンスをつかむ。その場でその単語の意味を忘れても全くかまわないので、単語と文章の内容、または題名を必ずメモ帳などに控えておく。後、その文章、題名に関する記事やエッセイなどを検索エンジンで探して読む。または、インターネット上の無料の辞書中にある例などを見て理解する。この繰り返しをすることで、それぞれのシチュエーションや文面に臨機応変に対応でき、その単語の意味を理解、応用することができます。また、語呂合わせでは全く関係のない文章を暗記までしなければいけませんが、この方法では関連性のある文章を読むことになるので読解力の向上にもなります。
追記:日本人が公の場で表現が下手なのは、機械的暗記によるものだと考えられます。というのも逆説的になりますが、表現をするにはその学問を理解し応用できるようにならなければなりません。ブルームのタキソノミーでこのステップは非常に重要で知識からいきなり評価に飛ぶことは絶対にありません。
例えば、プレゼンテーションなどで趣旨そのものを機械的暗記をしてしまうと、その内容についてメモ書きなどをいちいち見なければなりません。発表者が内容を理解していないのを晒してしまい恥ずかしいだけでなく、聞き手も心地よくないのが普通です。もし発表者が発表内容を十分に研究し理解し、応用の過程までを吟味していれば堂々と話せるはずです。
この考え方は英語や他の学問でも共通します。
英語で言うならば、単語を語呂あわせで丸暗記してしまった場合、文脈によってはいつもその意味とは限りません。自分でその単語を使って文章上、スピーチなどで表現しようとするとき正しい使い方ができないでしょう。これは知識が知識で終わってしまって、理解、応用が無視されたからです。
このようなことを避けるために機械的暗記法、語呂合わせなどは避けたほうがいいと筆者は考えます。人は学問を研究し、理解、応用をすることによって自分の能力を最大限に生かし表現することができるようになるでしょう。
Wednesday, October 26, 2011
Wednesday, October 19, 2011
単語帳が不都合な理由
筆者は中学校、高校ともに英語学習に単語帳をいくつか購入しました。
商品によっては分野別に単語が分けられていたり、レベルによって分けられているものもありました。
一般的にどの単語帳もまず単語の意味が日本語で複数与えられていて、その形容詞、動詞型などが派生した形も紹介されています。さらにその単語を使用、応用された短文が与えられているのが一般的といえるでしょう。
しかし、読者は本当にこのような単語帳を読むことで簡単に単語を覚えることができるでしょうか?
答えは人によってまちまちだと思いますが、英単語から日本語の単語へ訳したものを機械的に暗記するようでは実際に長文などを読む時にその単語の意味が分かったとしても理解したことにはならないでしょう。これはブルームのタキソノミーでいうと知識が知識で終わってしまうという事です。つまりベースである知識が理解、応用に繋がらない事を意味します。
では、どうしたら単語を知識から理解、応用に結び付けられるでしょうか?
筆者は次のように提案します:
このようにしてひとつの単語に対してイメージを植え付け、それを使い自分で表現ができるようになることで、一度勉強した単語は忘れることがないでしょう。この繰り返しをすることで後に勉強する単語を調べたときに以前に勉強した単語思い出したりするので理解をいっそう深めることができるはずです。
商品によっては分野別に単語が分けられていたり、レベルによって分けられているものもありました。
一般的にどの単語帳もまず単語の意味が日本語で複数与えられていて、その形容詞、動詞型などが派生した形も紹介されています。さらにその単語を使用、応用された短文が与えられているのが一般的といえるでしょう。
しかし、読者は本当にこのような単語帳を読むことで簡単に単語を覚えることができるでしょうか?
答えは人によってまちまちだと思いますが、英単語から日本語の単語へ訳したものを機械的に暗記するようでは実際に長文などを読む時にその単語の意味が分かったとしても理解したことにはならないでしょう。これはブルームのタキソノミーでいうと知識が知識で終わってしまうという事です。つまりベースである知識が理解、応用に繋がらない事を意味します。
では、どうしたら単語を知識から理解、応用に結び付けられるでしょうか?
筆者は次のように提案します:
- 目的の単語が使われるシチュエーションをインターネット上で探す。またはその単語を利用して文章を作る
単語帳上の文章を読むだけだでは、その単語が使用されている状況がつかめません。もし文法的に理解していたとしても一般的にどのようなシチュエーション(文書、会話、手紙、標識など)で使われているか想像するのが難しいでしょう。
例)down paymentという単語が単語帳に与えられているとします。さらに、単語帳にはよく下記のような例文が載せられています。
Taro was so disappointed when the real estate agent told him that he needed a large down payment on the office (太郎は不動産会社がオフィスに高額の頭金を要求したとき非常に落胆した)
もし、和訳が与えられていたとしても、これではどういうシチュエーションで単語が使われているのかいまいちわかりません。
そこで筆者はグーグル(www.google.com)を使います。down paymentの和訳は「頭金」。頭金という言葉などはもちろん賃貸などの説明や契約書に書いてあるはずです。
いろいろな検索の仕方がありますが、筆者はまずGoogle webを使い、「down payment house」を検索します。すると安く頭金を済ませる方法や、頭金の計算アプリ、その他不動産情報がずらりと出てきます。
筆者はこれらの文章や図、計算式などを見てdown paymentのイメージを叩き込みます。
長々とした文書や難しすぎてわからない文章は飛ばします。なぜなら、簡潔な文章で楽をして理解したほうが得だからです。難しい文章は時間がかかり疲れるだけでなく、間違った情報がインプットされてしまう恐れがあります。 - 英作文をする
このステップでは1で読んだ文章を利用して理解を応用に変える作業です。
難しそうに聞こえるかもしれませんが、1で単語の使い方がわかったところで、そのセンテンスを真似して自分なりの英作文をします。文の形はほとんど一緒でもかまいません。なぜなら、英作文は模倣から始まるからです。他人が書いたものを真似をして自分なりにアレンジして覚えるのも大切なことです。
例)In order to buy a home selling for $1,000,000, a down payment of $20,000 is necessary by the end of this month. This is twice more expensive than the one in other cities.
Monday, October 17, 2011
ブルームのタキソノミー(教育目標分類学)
学問を学ぶ上で必ず人間が通る過程があります。この過程は子供の頃からどの人間も経験している物で、このステップを一つずつ上っていく事で人間は成長していきます。高等教育(Higher Education)はそれまでの初中等教育(Primary, Secondary Education )で身につけた知識やスキルの延長線上に組み立てられ、初中等教育は必要不可欠な物として存在します。
この初中等教育から高等教育までのそれぞれの教育目標を明確に分類する方法がブルームのタキソノミーです。アメリカの教育学者であるブルーム(Benjamin Bloom)はこの目標を認知(Cognitive)、情性(Affective -- feeling or emotional area)、精神運動(Psychomotor --Physical Skills)の領域に大きく三つの分野に分けました。また、ブルームはそれぞれの分野(Domain)に初等から高等の段階を設定し、発達の過程を定義しました。
まず、ブルームは認知の分野を次のように六段階に初等から高等まで分類しました。
この分野の最も下にあるのが他の過程の土台となる「知識」です。知識の段階では、以前に記憶に残った出来事や、真相、概念などが蓄積されます。単語の意味を覚えたり、物事の順番、分類、構造などを覚える事がこれに値します。
知識の次に組み立てられるのが「理解」です。理解の段階では事実やアイデアを解釈、整理、描写などをすることによって知識を組み立てていきます。この段階ではまだ自分のアイデアや概念を表現することはありません。
次に理解の上に組み立てられるのが「応用」です。この段階ではそれまでに築き上げられた知識、技術、解法をそれまでとは違う新しい問題に当てはめて解く作業を行います。
次に応用の次に組み立てられるのは「分析」です。この段階で最も重要なのは一般化された情報や知識を吟味し、それを支持するための理由付けをすることです。論理的、批判的思想はここから生まれます。
また、分析の次におかれる「統合」の過程ではそれまでの初中等過程によって得られたり、応用された知識や情報を組み合わせ全く新しい概念を作り出します。
最後に、最も高等な分類に「評価」が格付けされています。この段階ではそれまでの段階によって養われた新しいアイデアや概念を発表、紹介することによって反論を受け入れ、その反論に対して決断を下す段階です。この最後の段階でそれまでに築けあげられた概念を洗練する事ができます。
ブルームによって紹介された二つ目の分野は「情性」です。この分野では人々が感情的に物事を表現する方法や、他人の喜びや痛みの感じとり方などが紹介されています。認知の分野と同じように初等の「受け入れ」から高等の「個性化」まで分類されています。
注)ブルーム自身は精神運動の分野に分類はしていませんが、後に別の教育学者がこの分類を考え出しました。
この初中等教育から高等教育までのそれぞれの教育目標を明確に分類する方法がブルームのタキソノミーです。アメリカの教育学者であるブルーム(Benjamin Bloom)はこの目標を認知(Cognitive)、情性(Affective -- feeling or emotional area)、精神運動(Psychomotor --Physical Skills)の領域に大きく三つの分野に分けました。また、ブルームはそれぞれの分野(Domain)に初等から高等の段階を設定し、発達の過程を定義しました。
この分野の最も下にあるのが他の過程の土台となる「知識」です。知識の段階では、以前に記憶に残った出来事や、真相、概念などが蓄積されます。単語の意味を覚えたり、物事の順番、分類、構造などを覚える事がこれに値します。
知識の次に組み立てられるのが「理解」です。理解の段階では事実やアイデアを解釈、整理、描写などをすることによって知識を組み立てていきます。この段階ではまだ自分のアイデアや概念を表現することはありません。
次に理解の上に組み立てられるのが「応用」です。この段階ではそれまでに築き上げられた知識、技術、解法をそれまでとは違う新しい問題に当てはめて解く作業を行います。
次に応用の次に組み立てられるのは「分析」です。この段階で最も重要なのは一般化された情報や知識を吟味し、それを支持するための理由付けをすることです。論理的、批判的思想はここから生まれます。
また、分析の次におかれる「統合」の過程ではそれまでの初中等過程によって得られたり、応用された知識や情報を組み合わせ全く新しい概念を作り出します。
最後に、最も高等な分類に「評価」が格付けされています。この段階ではそれまでの段階によって養われた新しいアイデアや概念を発表、紹介することによって反論を受け入れ、その反論に対して決断を下す段階です。この最後の段階でそれまでに築けあげられた概念を洗練する事ができます。
初頭の「受け入れ」では文字通り受動的に物事を受け止めることです。このレベルなくして学ぶことは始まりません。
次の段階の「反応」では、学習プロセスにおいて受動的に物事を受け入れながらも、積極的に参加することです。
さらに反応の次の段階の「価値付け」では、前述の反応した目的、現象、情報に対して評価することを意味します。
「組織化」で最も需要なのは価値付けで評価された目的、現象、情報や概念を種類、性質、用途など人それぞれの分類方法で仕分けし整理することです。
ブルームはこの分野の最上級である「個性化」で人はそれまでの価値観や概念を特徴化し、個性として見出されると説明しています。
つまり、この「情性」の分野では受動的に物事を受け止め反応する段階を経て最終的にはそれを自分の特徴として表現できるようになるということです。
注)ブルーム自身は精神運動の分野に分類はしていませんが、後に別の教育学者がこの分類を考え出しました。
まず最初の段階の「認識」では五感を使って外界の状況を認識し、それによって行動を起こそうとすることを意味します。例としては、熱いヤカンを触って手を引っ込めようとすること。また、蹴ったボールがどこへ飛ぶか想像する事などが挙げられます。
認識の次に設けられた段階が「準備」です。ここでは精神的、肉体的、感情的に行動を起こすための準備を行い、それぞれの状況に応じてどう反応するかあらかじめ方向付けることを意味します。
次の「被誘導的反応」とは初期段階の模倣を意味します。この段階で実際に練習をして失敗をすることによって成功するための道が開けます。
被誘導的反応の次の「手法」は全体におけるちょうど中間の段階です。ここではそれまでの練習が習慣化するなどして自身と余裕を持ってできるようになる段階を指します。
さらに「複雑性への明確な反応」の段階では文字通り複雑な作業を最小限のエネルギーを使用して、迅速、正確、かつ効率的に行えるようになる段階です。躊躇いなどなく自動的に作業を進められることが不可欠です。
次の段階の「順応」ではそれまでに築き上げられてきた能力を特別な状況に応じて変化させ都合のよいものにする事です。例としては、一般家庭用パソコンを仕事でも使えるようにソフトウェアの入れ替えなどをすることです。
最後に「創作」が最上に置かれています。ここではそれまでに養った創造性を生かして特別な状況や条件に対応しながら新しい行動を起こすことです。これは、コンピューターネットワークを構築したり、家の設計をしたり、絵画を描いたりすることにつながります。
このようにしてブルームの精神運動はさまざまな教育学者によって再定義され、認識から始まり創造力までの過程を具体化しました。
この三つの分野がどのようにして相互関係を保っているかを正確に理解することで教育者たちは学生が歩むべき道を示唆し、効率的、効果的に学習の道を彼らに享受する事ができるでしょう。
認識の次に設けられた段階が「準備」です。ここでは精神的、肉体的、感情的に行動を起こすための準備を行い、それぞれの状況に応じてどう反応するかあらかじめ方向付けることを意味します。
次の「被誘導的反応」とは初期段階の模倣を意味します。この段階で実際に練習をして失敗をすることによって成功するための道が開けます。
被誘導的反応の次の「手法」は全体におけるちょうど中間の段階です。ここではそれまでの練習が習慣化するなどして自身と余裕を持ってできるようになる段階を指します。
さらに「複雑性への明確な反応」の段階では文字通り複雑な作業を最小限のエネルギーを使用して、迅速、正確、かつ効率的に行えるようになる段階です。躊躇いなどなく自動的に作業を進められることが不可欠です。
次の段階の「順応」ではそれまでに築き上げられてきた能力を特別な状況に応じて変化させ都合のよいものにする事です。例としては、一般家庭用パソコンを仕事でも使えるようにソフトウェアの入れ替えなどをすることです。
最後に「創作」が最上に置かれています。ここではそれまでに養った創造性を生かして特別な状況や条件に対応しながら新しい行動を起こすことです。これは、コンピューターネットワークを構築したり、家の設計をしたり、絵画を描いたりすることにつながります。
このようにしてブルームの精神運動はさまざまな教育学者によって再定義され、認識から始まり創造力までの過程を具体化しました。
この三つの分野がどのようにして相互関係を保っているかを正確に理解することで教育者たちは学生が歩むべき道を示唆し、効率的、効果的に学習の道を彼らに享受する事ができるでしょう。
Tuesday, October 4, 2011
英会話業界の真実
みなさんは英会話スクールにどのようなイメージを抱いてますか?
おそらく、どのスクールも外国人の先生が最低一人はいて、そのほかにも女の先生が授業を教えていると想像されると思います。
もし外国人講師が一人もいないスクールが「英会話スクール」と名乗っていたらどのようなイメージを抱くでしょうか?また、海外でESLなどの英語免許を持っている日本人のプロが、外国人なしで英会話スクールを開いているのを見た人はどんな印象を持つでしょうか?
そのようなスクールは集客力が低いだけでなく、消費者は自分の英語学習に貢献してくれないだろうと想像するのが普通です。
つまり、外国人の先生が一人いることでスクール自体のイメージが上がるだけでなく、英会話スクール自体が成り立っているように見えます。
筆者は外国人が集まるパーティ、バー、クラブ等々でたくさんの外国人と交流しました。このような場所ではいろいろな国から日本にALTや大手英会話スクールの講師としてきた方がたくさんいます。逆に言えば、英語を教える職業以外を目的としてきた外国人はなかなか見つけることができません。
外国人講師の中には日本の文化や歴史、アニメ、漫画などに興味を持っていて、ワーキングホリデーのように日本に来る方がたくさんいます。
ところが、そのような講師ばかりではありません。中には筆者が日本に来た理由を尋ねると、日本人の女の子と短期交際のために来た方や、児童嗜好家、薬物経験者までいます。高卒の講師などは稀ではありません。
ご存知の方も多いと思いますが、ほとんどの大手英会話スクールの外国人講師はその国で英語講師としての免許や、英語を第二外国語として教える免許、または児童教育の免許などは持っていません。学歴や資格、免許携帯には関係なく数回の面接で通るのが一般的です。
ここで非常に残念なことに、小中学校、高等学校のALTの講師も大手英会話スクールと同様に英語の講師にもかかわらず免許がありません。アメリカなどの海外ではもちろんのこと、ESLなど「英語を第二外国語として学ぶ学生に教えるための免許」も存在します。彼らは日本の大手英会話スクールにいるような素人講師ではなく、それぞれの大学のプログラムに沿って育て上げられたプロです。中には修士号、博士号までとり児童教育など研究をされた方もたくさんいます。
このように、優秀な日本人講師やESL講師が英会話スクールや学校のALT講師として雇われないのにもかかわらず、免許不携帯の外国人が雇われるのは歪んだ外国人嗜好家たちが生み出したビジネス体系といえるでしょう。
おそらく、どのスクールも外国人の先生が最低一人はいて、そのほかにも女の先生が授業を教えていると想像されると思います。
もし外国人講師が一人もいないスクールが「英会話スクール」と名乗っていたらどのようなイメージを抱くでしょうか?また、海外でESLなどの英語免許を持っている日本人のプロが、外国人なしで英会話スクールを開いているのを見た人はどんな印象を持つでしょうか?
そのようなスクールは集客力が低いだけでなく、消費者は自分の英語学習に貢献してくれないだろうと想像するのが普通です。
つまり、外国人の先生が一人いることでスクール自体のイメージが上がるだけでなく、英会話スクール自体が成り立っているように見えます。
筆者は外国人が集まるパーティ、バー、クラブ等々でたくさんの外国人と交流しました。このような場所ではいろいろな国から日本にALTや大手英会話スクールの講師としてきた方がたくさんいます。逆に言えば、英語を教える職業以外を目的としてきた外国人はなかなか見つけることができません。
外国人講師の中には日本の文化や歴史、アニメ、漫画などに興味を持っていて、ワーキングホリデーのように日本に来る方がたくさんいます。
ところが、そのような講師ばかりではありません。中には筆者が日本に来た理由を尋ねると、日本人の女の子と短期交際のために来た方や、児童嗜好家、薬物経験者までいます。高卒の講師などは稀ではありません。
ご存知の方も多いと思いますが、ほとんどの大手英会話スクールの外国人講師はその国で英語講師としての免許や、英語を第二外国語として教える免許、または児童教育の免許などは持っていません。学歴や資格、免許携帯には関係なく数回の面接で通るのが一般的です。
ここで非常に残念なことに、小中学校、高等学校のALTの講師も大手英会話スクールと同様に英語の講師にもかかわらず免許がありません。アメリカなどの海外ではもちろんのこと、ESLなど「英語を第二外国語として学ぶ学生に教えるための免許」も存在します。彼らは日本の大手英会話スクールにいるような素人講師ではなく、それぞれの大学のプログラムに沿って育て上げられたプロです。中には修士号、博士号までとり児童教育など研究をされた方もたくさんいます。
このように、優秀な日本人講師やESL講師が英会話スクールや学校のALT講師として雇われないのにもかかわらず、免許不携帯の外国人が雇われるのは歪んだ外国人嗜好家たちが生み出したビジネス体系といえるでしょう。
Subscribe to:
Posts (Atom)