Tuesday, January 24, 2012

効率性と効果性


筆者はどの物事を進める上でも必ずバランスされるべき概念があると考えます。それが効率性と効果性です。この二つのバランスがとれた時に初めて人間は目的を達成できるのではないかと筆者は考えます。もしどちらかの要素が軽視されたり、過剰に加えられたりすると目的は失敗に終わるか、労力の無駄になったりもします。
これから話を進めていく上でそれぞれの意味合いが大切となってくるのであらかじめ定義をさせていただきます。ここで言うと効率性とは「使った労力に対する、得られた成果の割合 (Goo辞書)」。また効果性とは「目的を速やかに達成するための効力、効能、効き目」などを表すとします。
例えば、エアーガンを使ってその場にいるゴキブリ退治をするのは効果的でしょうか?それとも効率的でしょうか?

エアーガンのパワーがあればゴキブリはひとたまりもないでしょう。効果は絶大のはずです。しかし、エアーガンをわざわざ買うまたは借り、その上でプロの狙撃手を雇って退治するのは非常に効率が悪いと考えられます。

では、ゴキブリ団子を使ってみてはどうでしょうか?ゴキブリの近くに置いておくだけなので直接的にゴキブリを攻撃をしなくていいので恐怖に煽られる事もなく効率的と考えられます。しかし、その場にいるゴキブリはその団子をすぐに食べるでしょうか?食べるかどうかはゴキブリ次第で不確かですし、すぐに逃げてしまうのが普通でしょう。なので効果性がないと考えられます。

つまり、前者ではエアーガンの効果性の要素を過剰に考慮したために効率性の要素が軽視された形になり、後者では恐怖から逃れるために効率的にゴキブリを退治しようとしたため効果性を失ってしまったパターンとなります。

もし、効果的かつ効率的な要素が加えられれば、退治用スプレーなどを購入するなどして現実的にゴキブリを退治する手段は限定でき、「ゴキブリを退治する」という目的は容易に達成できるはずです。

ではそれぞれが重視、軽視された場合の問題点を見てみましょう。

下記のように効果性が効率性に勝る場合、目的達成のために物事をすぐに終わらせる事ができるかもしれません。しかし効果性を重視したあまり、時間や資金など過剰な労力が加わるため、非効率的となってしまいます。

さらに効率性が効果性に勝る場合、その物事を終わらせるための効力が不十分なため、その場で利用可能な資源を十分に活用できないまま時間だけが過ぎてしまう事でしょう。

     




この効率性と効果性の概念は学習する上でも共通すると考えます。
筆者は日本特有の暗記中心の学習法、機械的暗記法は受験のためには限定的に効果的ではあるが、その後の高等教育への応用へは繋がらず、非効率的であると考えます。理由としては次のような物があげられます。

歴史、公民、地理などの所謂社会学の授業では、その出来事、事件の内容や原因、結果、その後の出来事の関連事項よりも年代や人物名、事件名などの暗記が重視されます。これらの暗記用用語は受験のために用いられ、その後高等教育ではそのような詳細が重視されないのはしばしばです。社会学に興味がない生徒や、専門にしない生徒に至っては年を重ねるにつれ忘れてしまうのが一般的です。ここで筆者が主張したいのは単語帳などを用いる暗記術は一時的に受験のためだけには効果的ではあるが、その後の生徒の進路像を照らし合わせるとそのような用語や単語帳は必要がない、または覚えている可能性が低いため非常に非効率的であると言う事です。筆者が以前の投稿で紹介した英単語の暗記に関しても同様の事が言えます。

このように、効率性と効果性を同時に重視する、または一方を軽視しないという事は人生の目標を達成するのに重要な役割を果たしている事が分かります。これらの重要性をふまえて、日本の教育もバランスのとれたものになるといいでしょう。

Monday, January 23, 2012

正しい英語とはユニバーサルラングエッジ


私は高校時代にあるきっかけでジャネットというカナダ人の方に出会いました。

彼女は中国系カナダ人二世。大学のときにビジネスを学んだ後、日本に英語の先生として派遣された方でした。彼女は文章の比喩、倒置表現などに非常に長けていて、筆者はその文章を見ているだけでしばしば辞書を引いて深い意味があるか考えるのが楽しみでした。

今でも彼女の文章を模倣、応用などをして自分なりの美しい文章を作るための参考にしています。

その頃、いろいろな受験用や英会話用の日本のテキストや方法を駆使して英語を勉強している筆者に非常に印象深い一言をいただきました。

「日本の英語のテキストなどにはしばしば難しい文法上の用法、スラング、方言などがあるけれども、英語を勉強する上で最も重要なのはその人と確実なコミュニケーションができる事。だから、誰にでも理解できて納得できるようなユニバーサルな英語を学んだ方がいいよ。」

との事でした。

筆者がカリフォルニアの大学へ行く前まではその言葉はただ単なる疑問でしかありませんでした。しかし、大学の初めてのESL (English as a Second Language) のクラスを受けた時に彼女の言いたかった事がはっきりと理解できました。

その授業では高校や日本語のテキストで習ったような複雑なイディオムやフレーズは一切使われる事も紹介される事もありませんでした。筆者は少しだけ高校で習ったフレーズをエッセイに応用しましたがすべてバツにされ点を引かれる始末でした。担当の教授に理由を尋ねると、確かにこのような表現は大昔の何処かの思想家などがある特定の学問上に書いていたかもしれないが、今となっては誰も理解できない表現なので点数は加算しないとの事でした。

それ以来、筆者は高校で習ったほぼ全ての英文法、イディオム、フレーズを失いました。

しかし、それまで習った内容を全てを捨てた訳ではありません。

というのも逆説的にはなりますが、日本の中学校で習った英語は英語学習上非常に重要になってきます。

SVOの組み立て方やbe動詞の確実な使い分け、現在、過去、過去完了などを駆使する事で非常に多くの表現をする事ができるようになります。よくネイティブスピーカーなどの方がSVOなど覚えても仕方がない、自然に、ナチュラルに覚えれば良いなどとおっしゃる方がいますが、英語を第二言語として学ぶ私たちとは全く違う環境で育ち、学問としてではなく刷り込みによって英文を組み立てるので全く適応外です。筆者の経験上、ネイティブでも書くとなると全くできない方は非常に多いです。

最後にもう一度繰り返しますが、

「正しい英語とは誰にでも理解できるユニバーサル言語」であるという事です。

今後日本の教育が言語は覚えたり、問題を解いたりする学問から、実際に読み書きして文章を自分で作り、理解できる言語になる事を祈っています。